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天国を夢見る夜明けの露のような。。。

  • Страна | フィリピン
  • Дата | 01 ноября 2005
ⓒ 2005 WATV
300年という長い年月の間スペインの植民地だったが途中アメリカなど列強の占領の下で呻いて1946年独立するまで多くの苦痛を経験した国。長い間スペインの支配を受けてアジア圏だが唯一カトリック国であり、英語を公用語として使う国がフィリピンです。フィリピンはꡐ地上最後の樂園ꡑと呼ばれるボラカイのような絶景を持った島がおおよそ7千余個がありますが、人が住んでいる島は880個位です。

神様が立てられた私たちのシオンはルソン島にある、フィリピンの首都マニラに位置しています。一年中約27℃の気温が維持される高温多湿の気候のためにたまにくたびれる時もありまが命の水を含んで兄弟姉妹を探して出る私たちの心はいつも生気にあふれています。身は遠くいるがいつも命の水で命を賜り、愛で御自ら私たちを導いてくださって、瞳のように面倒を見てくださる御父様・御母様に心から感謝を献げます。

狭い所から広い所に教会があるマニラはスペインの統治のせいか行く所ごとにバロック様式の建物が整然と並んでいます。フィリピン固有の美しさは埋もれて各種カトリックを象徴する建物がぎゅっと立ちこまれている通りを見れば、なんだか心苦くなります。たまには エジプトの奴隷で4百年を搾取された後神様の御力で自由の民族になったイスラエルの民が心に浮び上がって、靈的植民の状態から脱することができない兄弟姉妹を早く振って覚まさなくちゃいけないと言う心で熱心に福音に臨んでいます。
私は2004年10月に福音の種を持ってマニラに来ました。ソウルからマニラまでは飛行機で約4時間。韓国で近いといえば近くて遠いといえば遠い所です。マニラフィリピーノ(フィリピン人を称する言葉)の3分の1ほどは公式語であるタガログ語を使いますが主に英語を使うので言語において不便な点はありません。

マニラは言葉どおりくもの巣のように複雑な市内と路地の間を巧みに往来する風変わりな交通手段が印象的でした。多くの人たちがマニラと言えば一番先に思い浮かぶジ-プ二-(ジープを改造した小型乗合バス)のみならずトライシクル(三輪自動車)、ク-ポンタクシ-、メガタクシ-、ホテルタクシ-、一般タクシ-など種類のタクシ-とバス、3輪自動車であるトライショ-、馬車のようなカレ-シャなど各種の車輛が洪水を成しています。マニラで初めて接した風変わりな交通を利用して福音の種を路地ごとに振り撤いて芽を開かせる思いで自然に感激がこみ上げてきました。私が現地に到着する前、マニラには少数のシオンの家族たちと韓国から来られた執事の家庭が家庭礼拝を献げながら信仰を守っている状況でした。

3年前初めてフィリピンに福音の種を撤き始めたのは、まさに夜明け露のような青年でした。大邱ユニバ-シア-ド大会以後海外福音の必要性を痛感した青年二人が現地で語学研修をしながら友達に真理を伝え始めたのでした。たとえ経験もなくて歳も幼くても、神様が共におられることを信じて頼って、雑草だけが盛んな荒れ地に真理の種を撤いた青年たちの汗のしずくがあったから、神様の御恵みによって今のフィリピン教会があると言っても過言ではないでしょう。

以後ビジネスのため韓国からいらっしゃった執事の家庭が中心になって礼拝を献げ、より多くの隣人と友達に御言葉を伝えながらシオンの家族が増えました。眠った魂たちが覚めて一人一人神様の懐に入って来ながら、家庭礼拝の形式で礼拝を献げるのは手に余るようになりました。それでシオンの家族は毎日神様に祈りを献げたと言います。速く預言者を送って下さい、より広くて良い礼拝場所を許して下さいという内容でした。

そのような現地家族たちの長い間の願いと切なる祈りによってꡒフィリピンにいる多くの人たちに神様の愛を伝えなさいꡓという神様の御言葉に従って私がマニラへ来るようになりました。現地に到着した私はシオンの家族たちの願いだったシオンを立てるために適当な所を探し始めました。しかし思ったより易しくありませんでした。現地建物構造を知り合っている人は多分よく分かると思いますが、余裕空間が全然ないそんな構造物の中で礼拝を献げる場所を探すのは難しい事でした。

ⓒ 2005 WATV
日々休まずにおよそ2週の間、礼拝場所を探すために手まめに通ったが、適当な所を求めることができませんでした。時間はしきりに流れて心焦がれました。結局神様にすべてのことを頼ってシオンの家族たちと心を集めて切に祈りました。

シオンの家族たちと心を合わせて神様に切に祈りを献げた次の日、思いもよらず青年たちから連絡が来ました。とても良い場所があるというのでした。私は喜んでひといきに駆けて行きました。

しかしその所は私が調べたことがあった所でした。家主は家が毀損されることを気にして賃貸するのを憚って、重ねてお願いをしても聞き入れなくて、あきらめた所でした。ところが続いて繋がれることを見ると確かに神様が予備された所かも知れないという考えで大邱ユニバ-シア-ド大会の時の写真と多くの弘報パンフレットを持って行って神様の教会に対して知らせました。そうすると主人は冷情だった態度を忽ち変えて、心を開いてこころよく家を礼拝場所として許して下さいました。

私たちは苦勞して大変に求めたシオンだからとても嬉しかったです。シオンの家族たちもꡒこのように礼拝を献げることに適当な所はフィリピンで見られないꡓと言いながら神様が特別に子供のためにあらかじめ準備してくださった所と言いながら神様に栄光を帰しました。

神様が祈りの回答で立てられたシオンは韓国のシオンの規模に比べれば、狭くて小さいけど もっと狭い場所でも感謝する心で礼拝を献げたシオンの家族たちにはとても大きくて美しい所でした。シオンの家族たちは祭りを守ることができるシオンを許し賜れた神様に感謝を献げ、小さくて優雅な新しい神殿を命の実であふれるよう満たして神様に喜びを差し上げようと動ねて念をおしました。

シオンが建てられた以後、自然に集まりが活性化されました。以前には勉強をするとか小さな集まりを持とうと思っても適当な空間がなくて何人かずつ別に集まりを持ったが、これからは毎日一つの所に集まって、秩序あって体ある集まりを通じて神様の愛を悟って福音をするようになりました。雰囲気が変わり、宣教に対する熱情もより熱くなりました。何人かの家族たちは夜明けの祭壇積んで日々神様に感謝と、より多くの家族たちを捜すようにして下さいという祈りを切実に献げました。


広い所からより広くて美しい所に

一年の間にすべてのシオンの家族たちが手まめに走った結果、多くの現地人たちを神様の懐に導くことができました。結局神殿が狭くて神様の御恵みで拡張移転して以来1年ぶりに、私たちは最近再び新しい神殿を求めるのに至りました。10人余りの韓国人が今は現地人たちでいっぱい満たされたのです。
新しい神殿を求めるために通いながら私たちはもう一度神様の御力を感じることができました。今回も現地家屋構造上易しく求められないことは覚はしたが、やっぱり易しく求められなかったです。易しく求めるほど大事さが減るということを悟らせるためか今度は3週の間捜し回りました。

私たちは神様が必ずあらかじめ準備されたシオンがあると信じて手まめに通いました。前より二倍が越える位の規模を考えているので今度は不動産仲介業者に適当な場所を探してくれと頼んだりしました。しかし不動産仲介業者たちは、私たちが願う構造の建物に対する説明を聞くと皆ꡒあなたの願う建物はこの国のどこに行ってもないですꡓと言うのでした。その言葉を聞いて私は目の前が真っ暗になる思いでした。

しかし神様がより良い所をあらかじめ準備されるはずだという信仰は捨てませんでした。不動産業者に頼んで私たちもあちこち調べに通いました。家の構造上礼拝場所で適当な所は彼らの言葉どおり本当にどこにもありませんでした。大きなビルも調べたがシオンを立てる状況にならなかったです。

神様に良い所を速く捜して下さいという切実な祈りを献げた後、ある不動産仲介業者が浮いた声で電話をしました。ꡒあなたが願った良い建物があるから、早く来て見て下さいꡓと言いました。嬉しい心でひといきに駆けて行きました。

やっぱり神様があらかじめ準備された所でした。この国のどこにも捜すことができない構造の建物でした。また感謝すべきことは私たちは前より2倍ぐらい広い場所を考えていましたが、思いもよらなかった4~5倍位大きな所が準備されたのです。不動産仲介業者もꡒとても適当でうてってつけな所ꡓと言いながらꡒあなたたちのために準備された所ꡓと言いながら紹介をしてくれました。とても嬉しかったです。3週の間心焦がれて苦労した努力がより大いなるやりがいと感謝に近付いたのでした。

今回も家族たちはꡒこんな所は初めて見るꡓと新しいシオンの姿に感嘆し、ꡒここも早くいっぱい満たして神様を喜ばせようꡓと心の覚悟がすごいです。シオンの家族の心が熱くて、シオンが立てられるやいなや今でも実でいっぱい満たされるような良い感じで一杯です。

ⓒ 2005 WATV
この間仮庵祭が終わった後にはすべてのシオンの家族が新たに引っ越しするシオンに行って掃除をしたが、すべてわが家を掃除する気持ちでほんとうに熱心に掃いてきれいに手入れをして、熱心に神殿を構えるその姿がとても美しかったです。家族たちは友達や職場の仲間も連れて来て一緒に掃除したりしました。もちろん神様の懐に導かれる良い結果も生みました。

貧しい夫婦が狭い借り家から本人所有の新居に引っ越す気持ちがこのようだろうかとしばらくでした。この地でより広い家に引越しする気持ちがこのようにいいのに、天国に引っ越しする日になったら、どれくらい嬉しいか考えただけでも胸があふれんばかりでした。


これからは天国に引越しするのを熱望します。

10人余りのシオンの家族が七培も増えて重ねて移転するまでは大変なことが多かったです。ここのマニラの現地人は約90%がカトリックを宗教で持っています。それで真理を伝えれば、長い間の慣習と、伝統、先入観で神様の御言葉を認めても実践することはできませんでした。しかし安息日だけ聞いても、過越祭だけ聞いても感謝しながら神様を迎える天の家族が確かにいました。


彼らは偽りが満ちた靈的荒れ地で掘り出した宝石のような存在です。真と偽りを分別する清い魂の目を持っているからシオンの家族たちの心もボラカイ浜辺を刺繍 する五色の青い海水のように清くて燦爛としています。

その中でとても恵しいことは睦まじい弟夫婦によって神様の懐に入って来たお姉さん夫婦の話です。お姉さん夫婦は夫婦の間があまり良くなかったと言います。ところが弟夫婦が真理を迎えた後いつも和気靄靄とお互いに助け合いながら睦まじい家庭生活をすることを知ってからはお姉さん夫婦もシオンに行って見たいと言ったのでした。それからどうなったでしょうか。もちろん単純な好奇心と圓満な家庭を維持するためにシオンに来ましたが、喜びで真理を迎えるようになりました。お姉さん夫婦は真理にあずかった日、家に行って偶像を取り除き、貞潔な家庭を構えて美しい姿に変化されて、現在熱心に御言葉の武具を身に着けています。神様の教訓を心に刻みながら当然夫婦の仲もよくなっています。

青年たちの信仰と行いも誇りたいと思います。ある女の青年は母が先に神様を迎えた後自然に真理を悟った姉妹です。初めは掟だけ守る信仰でしたが最後のアダムとエバに対する秘密を悟ってからは変化されて宣教に対する熱情があふれるようになりました。

姉妹はꡐコ-ルセンタ-ꡑに通っています。コ-ルセンタ-とは外国会社の業務を現地で代行するビジネスエージェンシーです。姉妹は職場の仲間たちに真理を伝えるのに特別な熱情を持っています。ある仲間は姉妹が知らせた偶像が何なのかを悟って、体から偶像をすべて取り除いて、真理の中に来ました。また姉妹は他の職場の同僚一人も、仮庵祭の期間に神様に切実に祈った後神様の懐に導きました。春の雨の聖霊の祝福で実を結んだ姉妹は常に奉仕と宣教に先立って神様の働き手として育っています。

またある姉妹は、看護学科を専攻する方で、父親なしにお母さんと5人の妹さんと一緒に住んでいます。真理を受ける前には卒業後外国に出て働くのが夢だったと言います。しかし黙示録の預言を通じて悟ったて以後現地でより多くの人たちに真理を伝えようという夢で一杯になりました。

姉妹は真理の大事さを悟ってから掟ごとに家族に御言葉を伝えて神様の祝福の中に導きます。母と五人の弟、そして隣家に暮す甥3人まで。初めは悟るのが遅かったが今はꡒ私が守らないでどのように他人に掟を伝えることができるかꡓと言いながら掟を重要に考えてすべての家族が祝福を受けることができるように導く姉妹になりました。

外国へ行ってお金を儲けるという漠然たる夢も捨てて、靈的金持ちになって天国に引っ越しする夢で一杯で楽しい心で熱心に生きて行く姉妹の姿を見ていると、まことの富と幸せが何なのかより切実に悟るようになります。

これ以外にも偽りが横行する中にも靈的分別力を下さった神様の導きによってシオンに出て来たフィリピン家族は大変な状況の中にも実を結ぶことを切に求めて手まめに福音を伝えています。このごろは広くて美しいシオンを許し賜れた神様に感謝しながら新しい神殿を実でいっぱい満たす樂しさに浸っています。現地のすべての家族が早く働き手になってフィリピンにいるすべての天の家族をすべて捜すようにして下さいということが私たちの望みです。

世界にいる兄弟姉妹もフィリピンの福音と海外すべての国の福音のために祈ってください。

短い時間の間大きな御恵みと祝福でフィリピンシオンにあふれる聖霊を許し賜れた御父様․御母様にもう一度感謝いたします。より多くの実、もっと美しい家族で新しいシオンをいっぱい満してくださることを願います。ありがとうございました。