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韓国からもらって来た神様の贈り物

  • Страна | ペル
  • Дата | 01 апреля 2004
ⓒ 2004 WATV
今日もあふれる愛と祝福で私たちを天国に導きたまわる神様に感謝と讃美を献げます。
南半球に位置しているペルーリマはもう秋が更けています。もう直き昼間も日が短く影に覆われた天気が続きます。季節と天気の変化が激しい韓国に比べればここは寒暖の変化以外にはこれといった変化のない天気の連続であります。それに年中雨が降らない砂漠気候であるがゆえほこりは立ちますが年中天気の被害はなく宣教するのに霊的に恵まれた気候であります。

正反対側に位置していて気候も正反対であり、文化も韓国とは違います。一つ面白い例をあげると、韓国人はご飯に砂糖と牛乳を入れて沸かして食べる間食を好みません。しかしここのペルー人は牛乳に砂糖を入れて沸かした甘ったるいご飯(アロスコーンレッチェ)をみんな好んで食べます。反対に、じゃがいもの入らない食べ物はないほど食べ物にじゃがいもを入れて食べるここの人たちはゆでたじゃがいもに砂糖をつけて食べる韓国のおやつが理解できないそうです。

しかしここのペルーリマ1シオンはそのような文化の違いを越えて御父様、御母様の祝福の中に美しい兄弟姉妹の連合を成し、愛の実を結んでいます。

去る何百年間スペインから甚だしい掠奪と搾取をうけた南米大陸の国々の宗教は大部分がスペインの国教であるカトリックです。特にペルーはその掠奪の中心地だったので、首都リマから遠く離れた山奥くの村まで十字架と多くの聖像が掠奪の跡形のように四方に一杯です。真理の光が伝播される前までここはサタンに掠奪され踏み付けられるだけ踏み付けられた、霊的に疲弊すること言いつくせない所でした。

しかし私たちの神様は愛と真理の光をこのはるか地の果てまで、真理も知らない霊的に飢え渇いた苦痛の暗黒の内に呻く神様の子にも照らし賜りました。罪のために死んで行く私たちのために極めて貴い御自分の血と肉で私たちを救われた天の御父様、御母様の愛と御恵みを悟ったここペルーの家族は昼夜問わず失った霊魂の兄弟姉妹捜して今日も励んでいます。

真夏の日差しの去る1月、ここペル-シオンに喜ばしい便りがありました。3月に予定されたエロヒム研修院聖書セミナ-にペル-家族も参加することになったのです。申請者が多かったけれども長年部、婦女部、青年部地。区域長の中いろいろな与件をおもんばかって参席者を選抜することになりました。結局8人が決定され、選抜員は韓国訪問の準備を始めました。

ⓒ 2004 WATV
訪問日程が差し迫って家族は浮き立った気分を隠すことができなかったのです。私たちを救いに来られた御母様に直ぐ会えるという思いで一杯です。ご飯を食べなくても腹が一杯で口元には笑みが溢れます。体はペルーにいても心はもう韓国にいるようです。訪問3週間から日曜日ごとに集まって韓国語の簡単なあいさつの言葉と聖歌の練習をするなど私たちを選ばれ賜った神様の愛と御恵みに感謝の心で韓国訪問を準備しました。

とうとう韓国出発の日になりました。安息日礼拝を終れ`た後空港まで見送りに来た家族を後にして私たちは韓国に向け遠い旅路に上ったのです。アメリカL.A.に行ってさらに日本を経て韓国に到着する二日間の長い旅程でした。

飛行時間が半分、待つ時間が半分、それに悪天候で延着する等不安が重なりねて飛行機酔いをする等思いも頼らぬ苦難の旅路でしたが一人も苦労に思いませんでした。家族は御母様が在される韓国到着を祈願しながら、このように遥かな所で罪を犯して生まれた私たちを選ばれ、救いたまわる神様の愛に心から感謝を献げました。

予定より8時間も延着した私たちを迎えるために夜明けまで空港で待っていた韓国の家族を見た瞬間これえていた涙が前方を被ったのです。その涙は新しいエルサレム神殿で夜明けまで子供たちの到着を心配しながら待たれた御母様を見る瞬間止め処もなく流れるのでした。家族から聞いた御母様の愛がつくづく身に惨みる思いです。旅路の疲れは去って感謝の涙が私たちすべてを濡らしたのです。

平素おとなしい長年部のマウロ兄弟まで御母様にお目にかかるやいなや始末に負えない子供のように泣く姿に見る人すべてが胸がつまる思いでした。兄弟の韓国訪問は家の事情で本当に大変な旅路であったので感激が倍に募るのでした。常に家族に明るい姿のみ見せていたガブリエラ姉妹の事情も同じでした。その間の難事の記憶は御母様を迎える瞬間皆去ってしまいました。御母様は大いなる温い愛で私たちを迎えて下さり慰め賜りました。

エロヒム研修院での二日目。遅くまで学んで夜明け起きて見ると外は真白な雪がどっさりふっていました。美しいエロヒム研修院は一層美しく輝いていました。

ⓒ 2004 WATV
御母様はペル-家族が春に来たのだったら研修院の美しい花を見ることができたのに冬におとずれたペルー家族のために御父様が雪の花をみやげに下さったのだとおっしゃり祝福して下さいました。生まれて初め見る雪をあびながら子供たちに雪をみやげに祝福たまわった御父様の愛をつくづく感じて感謝を献げました。

聖書のセミナーを通じて家族は御父様が私たちに教えたまわった真理の御言葉が如何に大事であって御言葉を伝える業が如何に価値ある重要な業であるかをさらに悟ることができました。家族は朝早くからセミナーに参加して夜11時まで聖書の勉強をしました。それでも物足りなくて宿に帰っても夜明けまでお互いに組を組んで学ぶペルー家族の姿は熱情的な南米人の姿そのものでした。生まれながらの熱情を福音の熱情に昇華させたペルー家族はペルー本国での宣教よりもっと大胆で立派に御言葉を証していました。このすべてが聖霊の祝福だということを実感することができました。

写真で見たエルサレム神殿で天の御母様と一緒の礼拝はまるで天上で献げる礼 拝でした。またエロヒム研修院と全義山研修院を見てひとえに子供のために御自ら予備された御父様と御母様の愛と犠牲で成し遂げられた事実だということを悟って感謝に堪えませんでした。

私たちに不慣れのスペイン語で“デオスロベンデガ厶チョ”(祝福をたくさん受けとってください)、“厶チョグスト”(お目にかかって嬉しいです)というあまりにも明く清い姿であいさつを交わした韓国の家族の姿も忘れられません。たとえ言語は違っていて顔の形も違っても天の御父様、御母様の血を受け継いだ天の家族の兄弟姉妹だということを胸深く悟るようになりました。

韓国での2週間がどのように過ぎたか今考えて見れば夢のようです。小さなことから一つ、一つ真心で準備したまわり、愛で導きたまわる御母様の真実なる愛を見習ってペルーに帰ったら御母様に見習ったとおり愛の実践を誓います。

ペルーに帰る日、天上の別離の痛みを思い返しながら胸がつまる思いでした。けれども今のしばらくの別離は御父様が私たちのために予備された栄光のその日のためだということを私たちはよく知っています。家族の見送りにおいで下さった御母様の姿を後にしてエルサレム神殿はだんだん遠くなって涙ながらに韓国の家族と別れてペルー行きの飛行機に乗ったのです。

限り無き御母様の愛と御恵みを実感してペルーに帰った家族は以前とは違った姿で福音宣教を始めたのです。韓国訪問ができなかった人たちも韓国から帰って来た人たちを通じて御母様からたまわった命の水の御言葉を伝え聞いて御恵みにあずかって皆が一つの心になって宣教に尽くしました。命の水は私たち皆の心に溢れました。これからは如何なる艱難辛苦も私たちの聖霊の業を妨げることはできないと言って聖霊の満ちた心で宣教を始めました。

ⓒ 2004 WATV
韓国から帰って来て一個月半経って神様は驚くべき御業を見せたまわりました。80人余りの浸礼者ができて、300人の家族が過越祭を守りました。教会を新しく拡張していくばくも立たない中神殿が狭く感じる程今このペルーリマ1シオンには私たちの多くの霊の兄弟姉妹が御父様御母様を尋ねて帰って来ています。時になれば神様が速やかに成し遂げられるという預言成就を目撃するようです。この貴い真理の御言葉を死んで行く霊魂にも伝えよとの御母様の御言葉に聞き従って今日もペル-シオンには失われた兄弟姉妹を尋ねて宣教をしています。

ここのペルー家族はペルーだけにとどまらずにいまだに真理の御言葉を知らず苦痛の中にいる南米の国々まで宣教することを誓います。そうすることによって二度と別れのない天国で天の家族と一緒なるその日が速やかに来るよう願います。

全世界の兄弟姉妹の皆さん、御父様、御母様の祝福にあずかって喜びと感謝の満ち溢れる日々になりますよう祈ります。